住職は、不変の存在か?
Thu.22.09.2011 Posted in 経過報告
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 龍光寺の現住職には、役員と自ら称している極く少数の取巻きの連中がくっついております。彼らは、異口同音に「住職は、一旦決まったら、例えどんな人物であろうと絶対に代えられない」と言っています。 「それは何故ですか?」と聞いても「昔からそういう風になっている」と言う以外まともな答えが返って来ません。

 その一方で、取巻き連中は、「今度の裁判で、もし住職が負けたら辞めさせる」などと矛盾したようなことを言っていました。 今度の裁判と言うのは、平成18年に、現住職が、筆頭総代の責任役員を名誉毀損で訴えた裁判の事を指していますが、その裁判で、訴えた現住職が全面敗訴しました。 
 ところが、取り巻き連中は、「現住職を辞めさせる」と言った前言はどこへやら、裁判に負けても知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいます。 どうやら彼らの言うことは、その場限りのいい加減な言い草のようではあります。

 現実面を見ると、私どもの龍光寺では、大多数の檀家から何年も前から住職罷免申立てされている住職が、いつまでも不変の存在であるかの如く、平気で居座っています。 本当に、彼らが言うように、住職は不変の存在なのでしょうか? 俗世間では、会社でも、役所でも、その地位にふさわしくない人、関係者の信頼を失った人がいたら、自ら責任をとるか、必ず何らかの処置をとるでしょう。放置しておくことは、その会社や、役所の名誉を毀損し、その責任を問われることにつながります。
 
 ましてや、本来は俗世間以上に倫理性や檀信徒からの信頼度等が問われるはずの住職について、何か問題があったら、宗門は放っては置けないはずです。宗制には、そうした場合に対処すべく、「住職罷免規程」や「懲戒規定」等の関連規定があります。それにも拘らず、曹洞宗には龍光寺のみならず、他のお寺も住職問題があちこちに発生し、未解決のままになっているようです。 それは、宗門が問題を放置したままにしているか、宗制を充分に活用していないか、あるいは世間の常識としては通用しないような内輪の論理だけの解釈で運用しようとしているか、 のいずれかではないでしょうか? 宗門はその名声が毀損される前に、宗制の常識的、合理的な運用等を通じ、自浄作用を発揮すべきです。


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寺檀で最も重要なものは?
Tue.13.09.2011 Posted in 経過報告
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 お寺は檀信徒と住職によって成り立っています。そのお寺の寺檀間で最も重要なものは何でしょうか? 
それは言うまでもなく、信頼関係です。 檀信徒の住職に対する何がしかの敬意、帰依する気持です。檀家が信頼できない住職を導師とした読経や葬儀・法要儀式を執り行うことをお願いするでしょうか? 又、真剣に法話に耳を傾けたりするでしょうか? 

 ところが、私どものお寺では、住職の度重なる虚言、不穏当な発言、不誠実な行為などの積み重ねによって、その最も大事な信頼感が失われ、地に落ちてしまっています。
(住職の人物像は、当ブログのカテゴリ「住職の人物像」をクリックして下さい。)

 もともと一度失われた信頼を取り戻すことは容易なことではありませんが、現住職は、呆れたことに、それを取り戻すために努力するどころか、むしろ逆なことをしています。
お寺の玄関やあちこちに監視カメラを取り付け、訪れる檀信徒を敵味方に仕分けしています。住職から敵とみなされたら、本堂に入ってご本尊様の参拝さえ出来ません。

 お寺や宗門を底辺から支えているのは檀信徒です。宗門は、こうした問題があるお坊さんを放置しておくことが、宗門に対する一般檀信徒の不信感を増幅させるばかりではなく、ひいては宗門自体の基盤が徐々に崩壊していく危機に早く気づくべきす。
お坊さんのイメージ
Tue.06.09.2011 Posted in 経過報告
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 私たちは専門僧堂や本山で厳しい修行をされた僧衣、僧形の人たちが、高い倫理観を自らの内に備えている尊敬すべき対象とごく自然に思っていました。特に菩提寺の葬儀式における住職は喪家の拠り所です。しかし、寺檀紛議が起きてからお坊さんの世界である住職や宗門の実体の虚実のさまを実体験することとなり、いろいろな面で勉強させられました。

 龍光寺の寺院規則は戦後間もない混沌としたゆとりの無い世相の中で、多分、包括団体の寺院規則のひな形をそのまま活用したものと思われます。その後、宗教法人法が改正されても特段規則の見直しをした形跡はなく、そのため寺檀紛議が起きても対応できない規則の不備を露呈しました。又、包括、被包括関係も個別具体的な契約?が明示されてはいないが包括団体である宗門の宗制(規則)の網が各寺院に覆いかぶされている。
 更に新憲法下、新宗教法人法下であっても、永い檀家制度の伝統の名残で、どうしても住職(代表役員)が檀家を支配下に置く傾向がある。住職が云う「檀家あってのお寺」は建前であり、歴史に裏付けられた宗門組織の宗務庁は、檀家に対しても更に顕著で権威主義的ですらある。この様に住職(法人の代表者)と宗務庁の実力(権力)は巨大です。
 宗制(規則)も檀信徒に関し触れたところがなく、特に寺檀紛議について余り書かれておりません。こうした過去の守旧的な慣習や伝統に固執することなく、今の時代に即した真に檀信徒のための宗門になるためにも、私たちが宗制に則り大多数の檀家の意思にもとづき申立した「住職罷免」に対し、宗務庁が恣意によらず、客観的事実にもとづいた公明正大な審理を行い、宗門の自浄能力を世間に示すべきであります。

 お寺(曹洞宗寺院)は、住職次第で、良くもなり、悪くもなります。

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