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「嘘」
Tue.08.01.2019 Posted in 経過報告
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 1月7日付の全国紙に宝島社の全面意見広告「敵は嘘」が掲載されていました。 目にした方は多いと思います。
「嘘つきは泥棒の始まり」と言われてきましたが、朝日新聞紙上では「嘘つきは、戦争の始まり。」と問題の本質をついた掲載でした。
この企業広告の製作意図は「嘘が蔓延している今の世の中に対し、嘘についてあらためて考え、そして嘘に立ち向かってほしい、
そんな思いから」 製作したらしいです。

 まさに、菩提寺の「住職問題」も、事の起こりは問題住職が発した「嘘」からです。 その「嘘」により、住職の資質の欠如と人間性に重大な問題があることが発覚しました。 発覚後も、更に嘘を重ね続け、その言い訳も変遷しています。
伝統仏教の曹洞宗僧侶でさえこの体たらくです。
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改元
Tue.25.12.2018 Posted in 経過報告
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 もうすぐ元号が変わります。 ますます価値観の多様化が拡大すると思われます。その中には、当然、疑似檀家制度や葬送儀礼も変化します。
 加速化する少子高齢化と相俟って、お寺は今のままではいずれ衰退します。早く菩提寺を正常化しなければなりません。
一体、問題住職や宗門は何をしているのでしょう ‼

    「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」   一休宗純
曹洞宗宗憲
Tue.27.11.2018 Posted in 経過報告
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 かって「問題住職」の代理人弁護士は、私たちに向かって曹洞宗宗憲を持ち出して大げさに『宗憲に書いてあるように檀信徒とは住職に依遵し帰依した者だ』 『だから住職の言うことを聞くのは当たり前だ』 と檀家は住職に服従するのが当然だという言い方をしました。この上から目線の姿勢は終始変わらず常識に欠けた「問題住職」を一層つけあがらせていました。

 龍光寺の「住職問題」は一言すれば帰依できないから起きたものです。僧侶として恥ずかしい問題であるのに反省するどころか、力ずくで問題解決を図ろうとしています。菩提寺を長く護持してきたのは歴代の地元檀家さん達です。「問題住職」が入山するずっと以前から檀家です。よって「問題住職」に帰依の意思表示などしたことがありません。「問題住職」が依遵や帰依を求めたことも話題にもなったことがありません。また、龍光寺がある首都圏柏市は急激にベットタウン化して新参の檀家さんが地元檀家さんを超えて6倍ほど増えました。この方々が檀家になるきっかけは新転地での新しい墓地の購入が目的であり、ほとんどの方が「問題住職」が入山する前から檀家です。ただし、檀家になってからは檀家としての常識的な務めを果たしていましたし、「問題住職」が寺に来る以前から歴代の住職さんと和気あいあいでそれこそ、寺檀一如で行事など執り行っていました。

 新しく檀家になる場合、余程の篤信者以外は墓地購入によって自動的にその寺院の所属宗派の檀信徒になります。その際に宗憲の説明など受けませんから宗憲の存在さえ知りません。大体、新檀家の受け入れは宗派その他を問わず何でも受け入れている現代の寺院運営の実態を見れば形式的な宗憲を持ち出すなど現実的ではありません。それをもとに住職側が檀家に圧力をかける事などもってのほかです。

 また、その一方で寺報でも「一部の住職排斥者」と私たちを無法者呼ばわりして大多数の檀家は住職側に付いているという事実と違う内容を記述して私たちを非難し続けています。私たちが「住職問題」を全檀家さんにお知らせする文書は全て客観的事実にもとづいて記述しています。その証に「問題住職」が筆頭総代を訴えた裁判で『問題住職側が敗訴』確定しています。この「問題住職」の敗訴の事実と証拠書類を添えた住職罷免申立の罷免理由書を見れば「問題住職」がいかに曹洞宗住職としてふさわしく無い」か宗務庁も判断できるはずです。

 折しも新しい内局がスタートしました。住職の地位云々は裁判所の管轄ではありません。一宗教団体の内部問題です。過去の宗務庁の及び腰な対応が問題住職をはびこらす要因です。裁量権は宗務庁にあります。宗務庁よ頑張ってください。
倫理道徳
Sat.27.10.2018 Posted in 経過報告
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 繰り返しますが龍光寺の「住職問題」は、住職の資質と人間性に重大な欠陥があり看過できないレベルの問題であります。問題点は多岐に亘りますが、一言で言えば「嘘をつく、約束を守らない、経歴に詐称がある、不誠実な言動を続ける」などです。早い話がお坊さんになってはいけない人でした。 入山直後から問題を起こし、その後、2ヶ寺から宗務庁に罷免申立されましたが全く反省もせずに現在まで寺に居座っています。 当然、住職承継後に行われる先代の退董式や入山後の晋山式」も執り行われていません。

 現代がいくら世俗化しているといっても戒律世界の寺の和尚が道義的にも宗教倫理的にも自律できないならば死者に引導を授ける資格は無い。寺も住職もその存在意義は無い、龍光寺は死んだも同然だ。そして寺檀紛議を見て見ぬふりの宗務庁。自浄努力を発揮しない宗門もいずれ衰退していくことでしょう。何が衆生の救済だ。
記事更新中(しばらくお待ちください)
Fri.26.10.2018 Posted in 経過報告
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記事更新中(暫くお待ちください)

菩提寺からは朝晩のおつとめの読経が洩れてこない、境内地の掃除をしている姿を見ない。行事もしない。
もちろん布教もしない、毎日何をしているのか、お寺は個人住宅ではありません。

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